安保法案考 2

自分と違う視点の意見にも耳を傾けないとと思います。

私自身は安保法案には反対です。平和のため。でも、法案賛成の人だって平和を望んでいる人がたくさんいる。少なくとも戦争を望んでいる人なんていないと思います。だからこその安保法案だと。そうやって色んな意見を読んでみると、平和の定義というか、範囲や期間が違うのかなと思います。そして平和構築のために描く道も。

賛成の意見の中には、「国を守るため」とよく出てきます。「国を守る=日本の平和を守る」というのが目的になっているように感じます。違ったらごめんなさいですが。私は国家というものに、そんなに重きを置いていません。大事な役割はあるけれど、国家はその利益のため、国外での道徳や倫理をさておいて、競争に勝つことに徹する傾向があります。利益には国民の利益も含むので、善意の行為であるとも言えるのかもしれません。でもその「利益」は国家に定義されているようで、必ずしも国民それぞれの利益であるとは限りません。国家を超えて一人間として世の中を見て、どの国の人も、動物も、環境も大事にし、一緒に生きていこうと考えると、「国を守る」は危険な発想でもあると感じます。国という単位は必要だけれど、そのたくさんの国たちが喧嘩や競争でなく認め合いと協働で生きて行くためには、平和の思想は国家という単位を超えなくてはいけないと思います。

これには時間がたくさんかかるし、話せば分かる国や文化ばかりではないみたいです。私たちから見てわけの分からない行動をする国は、確かに脅威です。でもそれに対して強い姿勢ではねつけると、世界平和はいつまで経ってもやってこないのではないだろうか。甘い、夢物語だ、と言われると思いますが、できれば軍備増強チェーンからイチ抜けたい。「もう日本はそこ(武力での平和維持)にはいませんよ」と言いたい。「物騒な兵器も持ってないし、戦争みたいな野蛮なことしないから攻撃しないで」という作戦でいきたい。それと、武装や臨戦態勢は日本を標的にするのではないか、という不安も小さくありません。

今の日本だって、決して平和なわけではない。平等というものも、かなり遠い。9条や戦争抛棄が、欺瞞な部分が多いのもわかっています。そんな状態でも、9条が憲法にあり、私たちが「戦争はいけない」という共通認識を持っていることは大きいと思うのです。

法案反対の意見にも、かなりキツい言葉や表現が目立ちます。とっても臨戦態勢な印象すら受けるものもあります。聞いてもらうためには大きな声は出さなくてはいけないし、言葉がきつくなる気持ちも、賛成反対どちら側も真剣であるのだろうから分かります。けれど、それでは平行線になってしまう。どうしたらいいんだろうと考え、悶々とする日々です。どちらも平和を望んでいるはずなのに、平和の作り方について意見が違うから喧嘩してしまうのは大変悲しいです。

私は対話がしたい。

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